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ホッコの部屋

気の向くままに書きます。夜空のようにおおらかに。

かえる

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一週間前、メールで打ち上げの連絡がきた。

それは、去年2月に退会した音楽教室の知り合いから。発表会のあとに一緒に来ない?というもの。正直、最後のほうは先生との考えの食い違いでぎくしゃくしていたし、あまりいい終わり方とは言えなかったから自分が来たところで…なんて思いもあったものの、こうしてみんなが集まる機会もなかなか無いはず。何を言われるか分からないからすごく迷ったけど、勇気をふりしぼって向かうことにしたのでした。もしかしたら来年卒業する私にとってはこれが最後かもしれないし、ここで突然声をかけられたというのは「これを逃したらもう会えない」という暗示なのかもしれない。

 

途中でやめてしまった私なんて、もう必要とされていないんだ。

そう思い込んでの参加だったのに、あの先生はすごく喜んでくれて、この1年ちょっとのブランクをまったく感じさせられなかったほど。お酒の勢いも手伝ってのことか、私を含めて上は大学生、下は小学生という世代を超えた大所帯を前に「ほんっとにありがたい…ありがたい…」と繰り返していました。まるでありがたいお経を聞いたときのように(笑)。同じ先生に習っているというだけでここまでのつながりは無いのが普通。ただ、先生がすごく熱心に教えてくださるということもあって「みんなで頑張ろう」的なムードになって盛り上がっているのがこの界隈。「やめた人(私ともう一人)もこうして来てくれて」と言われたときは心の中でおいおいおい!ってツッコんだけど、こうして集まってくれるということは私たち以上に先生が一番うれしいはず。すごい明るくなって安心した、とも言われたし。ひとまず良い近況報告ができてよかったです。

 

だけど、何よりもびっくりしたのが、やめてしまったにも関わらず、小さい子たちのお母さん方がすごく私のことを気にしてくださっていたということ。やめたことを知らなかったお母さんに伝えてもその表情は変わらなかったし、逆にどのくらい練習をしていたのか、やめたいと思ったことはないのか、今では考えられないような質問ばかりされて本当に情けなくて。途中、先生のことばで私の隣のお母さんが感無量で泣き出してしまったけど、思わず私もそれにつられて泣きそうになってしまいました。

やめたのは形だけであって、私という存在はずっと続いている。それなのに「もう必要とされていない」なんて言いがかりをつけて放り出してしまうなんて。もしも…もしも…と考え出すと、もうことばでは表せないほどの思いに押しつぶされてしまう。私はなんて無責任な人なんだろう、と。

 

 

*****

 

 

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かえる、あげる。

そう言って私にこれを手渡してくれたのは、小学生…もしかしたらまだ年長さんかもしれない小さな男の子。すかさず隣のお母さんが「ここに帰ってこれるようにね」と言ってくれたのがすごくうれしかった。おりがみってところがまたかわいいけど、子どもたちと一緒に例のお母さんも一生懸命におりがみを折っていて…帰る頃には1枚目の通り(笑)。本当は全部持って帰ってあげようかなとも思ったけど、もう一度見たときにこの日の記憶がよみがえって泣いてしまいそうな気がしたから、この黄色いかえるだけ持って帰ってきました。

夜の8時にはじまり、自分がそろそろ帰ると言いだした途端に全員が帰るムードになったのが夜中の1時半。来てよかった、心からそう思えたひとときでした。